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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)7688号 判決

原告

諏訪信男

被告

東京都

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は、「被告は、原告に対し、金四五〇万円及びこれに対する昭和四九年一二月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決並びに原告勝訴の場合につき、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二請求の原因等

原告は、本訴請求の原因等として、別紙第一のとおり述べた。

第三被告の答弁等

被告指定代理人は、本訴請求の原因に対する答弁等として、別紙第二のとおり述べた。

第四証拠関係〔略〕

理由

一  原告主張の本訴請求の原因事実等は、要するに、原告は、昭和四九年八月一七日、普通乗用自動車を運転中、被告が保有し、運行の用に供している護送車に追突されて負傷し、損害を被り、同年一二月一九日、被告とのあいだに示談契約を締結し、損害賠償金を受領し、今後何らの請求もしない旨約した(以上の事実は、当事者間に争いがない。)が、右示談契約当時、原告は、(一)慰藉料等に不満を抱き、示談交渉の準備のため、都民相談室、事故を取扱つた板橋警察署を訪れる等したが、原告の考えるように事が運ばず、不利な立場にあつたが、裁判になれば原告の要求が通るものと考え、示談契約に応じたのであり、右示談契約は原告の真意によらなかつたのであり、(二)示談契約に応じなければ、警視庁関係の仕事をしている原告の長男が今後仕事を続けられなくなると誤信し、また、昭和五〇年の新年になれば再就職できると誤信したため、示談契約に応じたのであるから、右示談契約は錯誤により無効であり、(三)被告側の担当者と示談交渉中、警察官であるその雰囲気に圧倒、威圧され、全く対等な立場で交渉できず、強迫により示談に応じたのであるから、被告に対し、昭和五三年五月三〇日の本件第四回口頭弁論期日において右示談契約の取消の意思表示をしたのであり、更に(四)原告は、昭和五三年一二月当時なお治療中で、右示談契約は、原告が未だ全損害を把握し難い状況下で、早急に小額の賠償金をもつて満足する旨の示談契約を締結したものというべく、当時後記損害は予想しえなかつたところ、原告は、本件事故に遭遇しなければ、なお三年間はタクシー運転手として稼働し、毎年金一五〇万円の収入を得られた筈であるが、本件事故により稼働できなくなつたから、昭和四九年一二月二〇日以降三年間の休業損害金四五〇万円を請求する、というにある。

二  しかして、当事者間に争いのない別紙第一の一、同二の(1)ないし(9)、(16)及び(18)の各事実並びに同(13)の事実中、原告が都民相談室交通事故相談課を訪れた事実、同(19)の事実中、鈴木警部から原告に対し、早く示談しないと昭和四九年内に示談金が支払えない旨電話がされた事実及び同(20)の事実中、原告が昭和四九年一二月一九日付で示談書及び示談金を受取り、その際鈴木警部が示談金中には慰藉料も加えられている旨説明した事実に成立に争いのない甲号各証及び乙号各証並びに証人鈴木武夫の証言及び原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、(一)原告は、本件事故により、頸椎捻挫の傷害を受け、本件事故当日の昭和四九年八月一七日常盤台外科病院で、同月一九日から同月三一まで実日数にして四日島田整形外科で、同年九月四日から同月二二日まで実日数にして八日足立共済病院で、それぞれ通院治療を受けたほか、同月一〇日管田眼科医院で通院検査を受け、同月二二日には足立共済病院で治癒した旨の診断を受けたが、その後も昭和五二年九月一六日から同年一二月二一日まで実日数にして三日程度、本件事故に起因する頭痛であると訴えて慶応義塾大学病院に通院したこと、(二)原告の症状は、島田整形外科通院当時は、頭重感、めまい、項部緊張感、後屈時の頸椎上位部の疼痛であつたが、レントゲン上頸椎に変化はなく、注射、内服、理学療法等によりやや軽減し、足立共済病院通院当時は、頸部痛、頭重感を訴えていたが、レントゲン検査、脳波検査において異常所見はなく、星状神経遮断術を受け、昭和四九年九月二二日治癒との診断を受け、この間管田眼科医院においても、眼科的に異常はないとの診断を受けたこと、(三)原告は、明治三七年三月一〇日生れの男性(本件事故当時七〇歳)で、本件事故当時、同盟交通にタクシー運転手として勤務し、一日当り平均金五、〇五六円の歩合給を得ていたもので、本件事故に関する示談交渉を同盟交通の事故係菊田に委任していたところ、足立共済病院から治癒との診断を受けた後開始された示談交渉につき菊田から示された示談案に不満を抱いたため、同人に対する委任を間もなく解除したが、このことや、原告の家族から本件事故を機会に原告の年齢等を考えてタクシー運転手をやめるよう強く勧められたことから、同盟交通から復職の勧めもあり、かつ、原告自身引続きタクシー運転手として稼働したい気持もあつたが、昭和四九年一〇月四日、同盟交通を退職し、その後は自ら被告側と示談交渉に当たつたこと、(四)原告は、同年一〇月初旬、被告から示談案とし、治療費、通院交通費、休業損害及び慰藉料等として合計金四〇万四、八八五円を支払う旨の呈示を受けたが、原告としては、本件事故によりタクシー運転手を断念し、同盟交通を退職せざるをえなくなつたと考えていたため、特に慰藉料について不満を抱き、その旨被告側に申し出たが、応じられなかつたため、鈴木警部を通じ損害賠償の担当官である警視庁警務部訟務課警部補高橋渉と面接したり、本件事故処理を担当した板橋警察署で事故状況を再確認したうえ東京都都民室交通事故相談課を訪ねて相談したりしたが、原告の思い通りに事が運ばず、また、原告の考えを支持されなかつたため、同年一二月一二日頃に至り、被告の呈示案を受け容れる決意をし、その旨被告に回答し、同月一九日、原告宅において、私服の鈴木警部及び中村巡査部長並びに原告立会のもとに、被告は、原告に対し、それ迄に支払つた常盤台外科病院及び島田整形外科の通院治療費金三万三二〇円並びに足立共済病院及び管田眼科医院の通院治療費金八万六、七〇〇円のほか、原告が負担した通院交通費及び包帯代金四、五二〇円並びに休業損害及び慰藉料等として金二八万七、八六五円(以上損害合計金四〇万四、八八五円)を支払い、原告は、じ後、被告に対し、本件事故につき名義のいかんを問わず何らの請求も行わない旨記載した示談書に署名捺印し、未受領残金二八万七、八六五円を受領したこと、並びに(六)原告は、右示談交渉の間、被告に対し、原告の長男が警視庁関係の仕事の下請をしているところ、長男が今後仕事を継続できなくなると困るから示談に応じる旨、若しくは昭和五〇年の新年になれば就職可能であるから示談に応じる旨述べたことはなかつたこと、以上の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前段認定に供した各証拠に照らして措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで以下、原告の前記各主張につき判断するに、まず主張(一)は、いわゆる心裡留保の主張と解せられるところ、民法第九三条の規定によれば、意思表示は表意者がその真意に非らざることを知つて為したとしてもその効力を妨げられることはなく、ただ、相手方が表意者の真意を知り、またはこれを知ることを得べかりし場合にだけその意思表示は無効になるというべきところ、示談契約の相手である被告が、原告の示談契約の締結はその真意でないことを知りまたは知りうべかりし場合にあつたとの主張はないのみならず、前記認定の事実関係に徴すれば、本件がかかる場合に該当しうるとは到底認められず、主張(二)については、いわゆる動機の錯誤の主張と解せられるところ、前記各動機を被告に表示したとの主張も立証もない(反つて、前項(六)認定のとおり、かかる動機を表示しなかつたものと認められる。)のみならず、仮に、右各動機が被告に対し表示されていたとしても、前項認定の原告の傷害の部位程度、治療経過及び原告が同盟交通を退職した経緯及び示談金額等に鑑みれば、右各動機が本件示談契約の内容の重要な部分、すなわちいわゆる法律行為の要素をなすとは到底解しえず、主張(三)については、前掲の当事者間に争いのない事実に証人鈴木武夫の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、本件事故後再三鈴木警部らの見舞を受け、また、同人らに病院に同行してもらう等していたことが認められるのであつて、このことに前項(三)及び(四)に認定した示談に至る経緯及び示談当日の状況を併せ考えれば、被告が違法に害意を告知し畏怖を生じさせるような強迫行為をなし、またその故意があつたものとは到底認められず、更に、原告が、被告の示談担当者が警察官であつたがゆえに畏怖し、示談をなしたものとも認められないのであつて、主張(四)については、前項認定の原告の傷害の部位程度、通院状況(本件事故当日から昭和四九年九月二二日まで通院実日数一四日)、症状の推移、原告の従前の収入状況及び示談後の原告の慶応義塾大学病院への通院状況に、原告は、示談契約により、通院治療費全額を受領したほか、示談契約当日受領した金二八万七、八六五円から通院交通費及び包帯代金四、五二〇円を控除した金二八万三、三四五円程度を休業損害及び慰藉料として受領した(ものと容易に推認しうる。)事実を対比勘案すれば、原告が、未だ全損害を把握し難い状況下で、早急に小額の賠償金をもつて満足する旨の示談契約を締結したものとは到底認められない。なお、原告が同盟交通を退職するに至つた理由は、前項認定のとおり、本件事故による負傷そのもののため運転手として稼働できなくなつたためではなく、原告の同盟交通の事故係に対する不満と家族の強い勧めにより、同盟交通から復職の勧めがあつたにかかわらず、自らの意思によつて退職したのであるから、その後再就職が困難であるとしても、その後の得べかりし利益(原告の訴求する休業損害)を被告に請求しうる筋合はなく、右休業損害は本件事故と相当因果関係ある損害とは認められないというほかなく、他に原告に本件事故当時予想しえない損害が生じているとは認め難い。

四  以上の次第であるから、原告と被告のあいだには、本件事故につき有効で瑕疵のない示談契約が成立しているものというべく、原告は右示談契約において金四〇万四、八八五円を超える損害賠償請求権を放棄しているのであり、加えて、原告が本訴において請求する休業損害は本件事故と相当因果関係のある損害とは認め難く、他に本件示談当時予想しえなかつた損害が生じているものとも認め難いのであるから、結局、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないといわざるをえず、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 島内乗統)

(別紙第一)

一 原、被告の地位

原告、タクシー運転者、同盟交通株式会社(以下「同盟交通」という。)正規運転者

被告、警視庁代表、知事美濃部亮吉である。

二 訴訟の理由と説明

(1) 訴外警視庁巡査高田清治氏(当時三〇歳。住所八王子市狭間町一四六四―一―五〇八)が昭和四九年八月一七日午後二時四〇分頃、車両番号品第八と六九号、車種ニツサン六二年式警視庁護送車(被疑者は居なかつた)を運転中、板橋区大山金井町七番地先路上にて、原告(当時七〇歳)が、運転する旅客用のタクシー車車両番号練馬第五五い九三〇号、車種ニツサン六八年式を、空車でしたから、いつもの通り川越街道交差点に向い進行中、男女二人の人(中年の人)が手を上げた合図が見えましたので、客とし乗せるために所定の位置に停車しました(私共タクシー車は誰でも空車で流しの時には道路の一番左側を直進いたして居ります。)ところ、どう間違えられたことか、訴外高田清治氏運転の護送車が追突しました。被告は、右護送車を保有し、運行の用に供するものとして、本件事故により原告が被つた損害を賠償する義務があります。

此の日は土曜日であり、朝から小雨模様で、追突された時にも霧雨が降つた嫌な日でした。余りにも突然大きなシヨツクと音がしましたし、当方車の破損にびつくりしましたので、直ぐに会社に電話で話して、事故処理をして貰いました。板橋署事故係四、五名、護送車の方は婦警さん二、三名と警察官で八、九名おられ、私共事故係と私の立会の上処理が終りました。事故処理後直ちに板橋署に参り、現場見取図等により取調の上調書も終りました。始末書等はありませんでした。担当巡査部長さんから代読がありましたが、気分が悪かつたり又頸の具合が変な事等を考えて居りましたので、あまり良く聞いていなかつた様に思います。

ライトバンで、私服の二名の方と私は常盤台外科病院に参り、診察を受け、頸に包帯をしてもらいました。此の前に、自分で北町病院(東上線駅の近く)に行きましたが、土曜日で休みでしたので、護送車の方に病院を心配していただいた様に思います。また、護送車で、北千住の団地の自宅に帰りました。妻が、先方警視庁の方から、挨拶やら簡単な事故の様子を青くなつて聞いておりました。一人の方が、警視庁刑事部刑事管理課警部鈴木武夫(以下「鈴木警部」という。)の名刺を出され、上りもせず、帰られました(八時過ぎていた様に思います。)。

事故の時、護送車は欠陥車だとかこんな事でへこたれるものかとか、大勢の人の前で怒鳴つた気がします。今考えて見ますと、恥かしい事をしたと思つて居ります。

(2) 翌日午後になり、鈴木警部さんと他の一人の方とが、一諸に果物包を持つて見舞に来られ、上られました。この時は、家族は誰もおりませんでしたが、長女が、驚き、嫁入先から小な子供を連れて朝早くから見舞に来ておりましたので、私が事故の有様を話してありましたからか、先方の警部さん達に、貴方方の運転手さんが前方不注意運転をしたから事故になつたと、女でも大変強く話しておりました。隣の部屋で私は寝ておりましたので、お二人の方の様子は分りませんが、警視庁の係官とし、事故を起こした本人代理の方でしようから、長女に一般世間並に謝つて頂けたら有難い事だと思つておりました。

(3) 余り暑いものでしたから、裸になり、私が寝ておりましたところ、名刺を持つて、前記刑事管理課警部補田中岩夫さんが見舞に来られて上られましたので、この時は私一人でしたし、制服等でしたから、一寸慌てました。同年八月末頃でした。

(4) 長女がお願してありましたので、足立区青井五―五―一〇の島田整形外科の診察を受けに、警部さんと一諸に参りました。島田先生は、たいした事はないと云われ、安心いたしました。

(5) 鈴木警部さんが、いつもの方と果物包みを持つて見舞に来られ、あがられました。警部さん達からお話があり、今後どうするつもりかと聞かれました。体がよくなりましたら今迄どおりタクシーの仕事をいたします、と申し上げました。元来、私は体にめぐまれて大変丈夫ですから、あと三年と云はず働きますとも申し上げました。以前から老後の生き甲斐の仕事に致したいと思い、商標権を取り、趣味と実益も兼ねた仕事にしたい等とも申し上げ、また、私の経歴話や四方山話等致しました。三時間位されて帰られました。警部さん方からの格別な質問等のお話は御座いませんでした。

(6) 警部さんから、前以つてお話があり、同年九月四日から足立区柳原一―三六―一足立共済病院で通院治療を受けることになりました。精密検査等もやつて貰いました。此の病院では三日に一回から週一回の治療でした。たしか、七、八回位は通つたと思います。院長の他の先生からは、このような治療は気長に受けるものですよと、念をおされました。

(7) 頸の包帯もいつともなく取り外すようになりました。お風呂と散髪も自由に出来る事になりました。

(8) 同年九月二六日付で、足立共済病院から治癒するとの診断書の写を貰いました。

(9) 目が変だと申し上げましたので、同年一〇月一〇日、足立区千住二―六菅田眼科医院に警部さんと一諸に行き、診察して貰いましたが、異状なしとの診断でした。

(10) 今になつて思いますと、先方の一方的な不注意による事故でありましたのに、家族からは、私の運転もまた如何にも悪かつたかの様に思われ、これからはタクシーはやめるようにと言われました。私の立場になりますと、家族達の言分を無視することも出来なくなりました。何とも残念でした。同盟交通の係からもまた勤めたらと言はれましたが、断りました。

(11) 鈴木警部さんが、練馬の同盟交通にわざわざ来られ、会社から示談書を出すようにと話があつたと電話連絡がありました。

(12) 同盟交通に行き、事故係菊田氏と示談の処置についていろいろ話し合いました。

自動車事故は自賠法に従つて処理をされるものだと言われました。彼の話された示談書内容は、休業保障日額金五、〇〇〇円に日数を掛けた金額と通院費と雑費を合計したものだと申しました。アルフアーとする慰藉料のことについては全くわからないと言はれました。彼としても私の事故についての状態は良く知つて居りましたのに、慰藉料のことはあまり言いたがらないようでありました。同盟交通としましても慰藉料の事で何回も裁判を相手方から起された経験も有るのに、プラスアルフアー等と言はれましたので、委任契約を解き、自分で処理をする事にしました。

(13) 都庁内にあります東京都都民室都民相談室交通事故相談課に行き、係に伺つてみました。同盟交通で言われました方法と全く同じ計算でした。更に、先方から金が貰えれば有難い事ではないですか、とも言われもしました。私はタクシーは嫌になつたと申しましたら、一般にある話で致し方ない事だ等と言われました。係の方は前に警察に勤めておられたと話されました。

(14) 事故当時、板橋署で調書の代読を聞いてはおりましたが、あまり記憶がありませんでしたから、念の為にと思いまして、板橋署に行き伺いました。事故当時の係をされた方ではありませんでしたが、書類を出し、私の運転上の落度はないと話されました。また、慰藉料等の事も伺いましたところ、例えばと申され、自賠法でも一、〇〇〇万円でも出るものだと聞きました。この様な事をきいた警部さんからのお話には、全く私は驚きました。日時はさだかでは有りませんが、確なお話でありました。

(15) 慰藉料の話については、会社といい、都庁内係の方の話でも、誠に不明確な話でしたのですが、私としては正当な要求をすることができると確信いたしました。このような理由から、私は裁判に訴えてただして戴く決意をしました。其の前に、新聞にある社会欄に投書をしたいと思い、原稿を書いておりましたので、妻に一寸話したところ、何を思い勘違いしたことか、それは大変な剣幕で大反対されたうえ、書いたものを無理やりに取り上げてづたづたにしました。これには全く呆れ、手の下し様も出来なく、何とも参り、私の考えは実現しませんでした。

(16) 其の後鈴木警部さんから電話で話があり、賠償金は都から出るし、係が違うと申され、係の方を紹介されました。警視庁に行き、私服の警務部訟務課警部補高橋渉氏と会いました。その時は調書とか自動車の写真等見せて貰いましたが、別に手に取つて見ませんでした。

(17) また主任さんからの電話で、診断書を出すように申されました。これは、九月二六日付で既に足立共済病院から出ておりますのに、改めてまた出せとは変なことだと思いましたから、返事だけで出しませんでした。何か理由でもあるかとも思いましたが、聞きもしませんでした。

(18) 日時は覚えておりませんが、鈴木警部さんの電話で示談書の話でしたので、自賠法は不平等扱いにされるので、これは間違つていると申し上げました。また、心境にも変化があつたから示談には応じたくないことも一諸に申し上げました。

(19) また、鈴木警部さんからの電話で、早く示談にしないと今年内には金が出ないと断りの電話でした。先方の過失を理由に示談を故意に遅らせたと思はれても嫌でしたので、暮にもなり応じる返事をしました。

(20) 昭和四九年一二月一九日付で示談書を受け取りました。其の時に貰いましたメモによりますと、総額として四〇二、一一〇円本人渡し二八五、〇九〇円と有りました。鈴木警部さんの説明によりますと、慰藉料も加えてあり、込払の計算だと申され、私は二八五、〇九〇円受け取りました。

(21) 現在になり、当時のことを反省し、考えて見ますと、鈴木警部さん達も何回も来られもし、直接私も何回も話合もしましたが、何となく雰囲気と申しますか、例へば西郷さんの様な人の前で威圧されていたような気がし、反対に私が加害者にでもなつたような錯覚さえもし、全く対等で話しが出来なかつたと思います。お二人の方もこの様に私の態度を受けとめておられたような気がいたします。私共庶民には全く致し方ない事です。また、係の方のお立場とすれば、護送車が起した事故等滅多にない事でしようから、経費面でも少なくあげたいとされるのは、人情とし当然かと思います。それだからと申し、警察の本山とまで人々から思われている警視庁が、民間等でのやり方と違い、人情味のない冷い示談にしても差支いないなどとされたら、被害者となつた私には全く酷な仕打としか思われません。世間でも私の立場をみれば警視庁方が正しいとは申すまいと思います。

(22) 今では働くことにもなれない身分にもなりましたし、これからの暮の事等も心配のことになりました。示談書のあり方について設けてある時効制度の事も存じておりましたので、時間切れにもなつておりませんので、大変御役所のお手数になり申訳ないと思いますが、やむなく、本件事故により、タクシー運転手をやめざるをえなくなつたため失つた昭和四九年一二月二〇日以降の三年間の一年当り金一五〇万円の割合による金四五〇万円の逸失利益の支払を求めて、損害訴訟裁判を御願い申し上げる事にいたしました。

三 被告の主張について

1 示談書の法的意義は私といたしましても存じております。

2 示談金は二八五、〇九〇円、自宅にて昭和四九年一二月二三日戴きました。

3 示談書については、示談書に成つた迄での経緯について前文で申し述べてありますので、御了承戴きます様特に申し上げます。

四 示談契約の無効について

(1) 示談書に判を押さないと、警視庁関係の仕事の下請をやつている長男の今後の仕事が出来なくなつたら大変だと誤解をしたからであります。

(2) 新年になつたら、前項(10)でありましても、努力すれば、就職できると誤解しましたが、不況の為め今だに無職です。

(3) 前文の通り、全く不利な立場に追い込まれても、裁判になれば、善処して戴けると確信したからであります。

(4) 裁判延期願いの慶応義塾大学病院脳外科の診断書のとおり、昭和五三年一月なお、治療中であります。

(5) これらの理由により、民法第九五条によつて、無効とすべき法律行為であると解するものであります。

(6) 前項(21)にも記載したように、心理的に威圧された状態で強迫による意思表示であつたから、昭和五三年五月三日の本件第四回口頭弁論期日において、本件示談契約を取消しいたします。

別紙第二

一 別紙第一の一の事実は、認める。

二 同二の(1)ないし(8)の事実は、認める。

三 同二の(9)の事実は、認める。ただし、菅田眼科医院で受診したのは、昭和四九年九月一〇日である。

四 同二の(10)の事実中、本件事故が高田清次の一方的不注意に起因することは認めるが、その余の事実は知らない。

五 同二の(11)の事実中、鈴木警部が同盟交通に赴き、示談の話をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。

六 同二の(12)の事実中、原告が同盟交通の菊田氏と示談の処理について話し合つたことは認めるが、その余の事実は知らない。

七 同二の(13)の事実中、原告が都民相談室交通事故相談課を訪れたことは認めるが、その余の事実は知らない。

八 同二の(14)及び(15)の事実は、知らない。

九 同二の(16)の事実中、鈴木警部が高橋渉を紹介し、原告が同人と警視庁で会つたことは認める。

一〇 同二の(17)の事実中、被告が原告に対し足立共済病院の診断書のとりなおしと提出を依頼したことは認める。

一一 同二の(18)の事実は、認める。

一二 同二の(19)の事実中、鈴木警部が示談が遅くなると年度内に示談金を払えない旨電話したこと及び後日原告から示談に応じる旨の返事があつたことは認める。

一三 同二の(20)の事実は認める。ただし、示談当日原告主張のようなメモを渡したことはない。また示談金の総額は金四〇万円四、八八五円であり、当日原告が受け取つた額は金二八万七、八六五円である。

一四 同二の(21)及び(22)の事実は、争う。ただし、(21)の事実中、鈴木警部らが原告宅を何回も訪問して原告と話合つたことは認める。

一五 被告の主張

被告は、昭和四九年一二月一九日、原告とのあいだに、被告は、原告に対し、本件交通事故による損害賠償として、治療費、休業補償費、慰藉料等金四〇万四、八八五円を支払い、原告と被告は、本件事故に関し一切の債権債務が消滅したことを確認し、じ後、名義のいかんを問わず何らの請求も行わない旨の示談契約を締結し、被告は、同日、原告に対し、同年九月一四日支払つた金三万三二〇円、同年一一月五日支払つた金八万六、七〇〇円のほか金二八万七、八六五円を支払つたから、原告が本件事故に起因する損害として本訴において請求する休業損害の請求権も右示談契約によつて消滅したものというべきである。

一六 別紙第一の四の事実は、争う。

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